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B:境界性人格障害(メンヘラ)の症状を、青年期誰もが経験するって言ってたけれど。大多数の人は深刻な問題にもならずに生きていっているんだから、別に通ってもいい道なんじゃない?
A:もちろん、深刻な問題にならなければ。深刻な問題になる可能性があるなら、早いとこ潰しておこうってだけ。
B:確かに。通らなくていい道があるなら、通りたくない。
A:そう。だから知識をつけよう、病院行こうって考えちゃう。
B:うんうん。本当にやばいって人は、自分で病院に行くんじゃない?
A:行くかな?私が見てきて怖いなと思ったのは、誰かが「死にたい」って言っても、包丁を取り出しても、「あいつメンヘラだから」で終わらせる人が多かったこと。病院に行こうなんて発想、なかったよ。
B:まぁ……それで大きな問題にならないならいいんじゃない?
A:「大きな問題にならない」って思うか思わないかが知識の差だと思う。盲腸になったら、病院行くでよ?知識ある人たちから見たら、同じだよ。
B:知識あるなしに関わらず……正直、私はうまく関わらないようにする。そこまで人を救いたい気持ちがないんだと思う。
A:でた、Bの人を救いたい気持ちがないやつ(笑)
B:そう。私は「死にたい」って言うような人とは付き合わないし、そういう人と付き合って、大きな問題が起きるまで放置していた自分が悪いと思う。自分に包丁かざしてきたら、普通は別れるじゃん。でも別れずに放置することを選んだのは自分じゃん。そこまでして、その人と離れたくなかったんでしょ?じゃあもうしょうがなくない?明らかにやばい状況を、やばいと認識せずに放置していた自分がやばいと思うから、そもそも近づかない。
A:……そういう「やばい人たち」を減らしたいって思う私はお節介?
B:まじで聖人だと思う。本当にすごい。それって「人の役に立ちたい」っていう社会貢献の気持ちじゃん?それって健全な人間の仕組みじゃん?
A:聖人なのか、自分の欲求のために他人を利用しているだけなのかは分からないけれど。
B:自分のためだとしても「人の役に立ちたい」って全く思えないよ。思いたいんだよね……
A:確かに、私は「やらない偽善よりやる偽善」の精神ではある。
B:そうだよね。「使命感」みたいなのあるよね。「生きていくのに大切なことはこれだ」って。
A:そうしないと生きていけない、弱くて脆い存在だと思うけれど。あと、今正に「助け合おう」っていう世の中だから言えないだけで、「社会貢献とかどうでもいい」「他人は他人」っていうBみたいな人も実は結構多いんじゃないかと思っている。で、個人的には、その人が幸せならそれでいいと思う。「強い自由主義」って分類もあるわけで。
B:でも「社会に貢献している気持ちが幸福度を上げます」って言われると、私幸福度上がんないじゃんって思う。
A:自分の幸福度を上げるために、社会貢献してみようとは思わない?
B:思いたいんだけど、全く思えないんだよ。
A:本当に思えないんだ?
B:本当に思えないの。
A:清々しい(笑)うーん、私にはない感覚だからなぁ……役に立ちたいとか、使命感とか、偽善であれ自分のためであれいつもある。
B:それが「生きるエネルギー」になるんだろうね。
A:自分に近い人たちが困っているから、そう思うだけかもしれないよ。
B:いや、自分に近い人たちっていう一事例だけで強く思えるってことは、それがなかったとしても他の何かに強く気持ちが向くよ。
A:それはそうかも。何かしらに目をつけて、何かしらこじつけてエネルギーを注ぐとは思う。エネルギーが有り余ってる感じがいつもするんだよね。
B:そうそう、その感覚が人生の意義だと思う。それが私にはない。
A:でも強迫性の一環とも思っているから、良い面だけじゃないと思うよ。
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