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B:「人の話を聞く」ことにも、「人に話を聞いてもらう」ことにも、私は全く興味がない。話を聞いて、何か問題解決の「手段」を知ることができれば楽しいけれど。
A:なんで人の話を聞くって、ほら、アドラーの『嫌われる勇気』がいい例じゃない?
B:青年は、アドラーから問題解決の「手段」を教えてもらったからいいんだよ。アドラーは青年の話を聞かなかったとしても、「こうしましょう」っていう最初からブレない「手段」を持っていたよね。
A:でも聞いていたじゃん!青年の話を、アドラーはちゃんと聞いてたよ。
B:青年の話を聞いたから「この手段にしましょう」ではなくて、「青年も含めて、みんな結局この手段が効くよね」って話だよね?青年の話を聞かなくても、アドラーが下す結末は同じだよね?
A:確かにアドラーのところに行った人はみんな紆余曲折あれ、最終的に同じことを言われるのかもしれない。でも、青年が納得して、自分で前を向けたのは「アドラーが話を聞いてくれた」からだよ。
B:いや、「アドラーが話を聞いてくれた」だけでは、事実として何も変わっていない。大事なのは、アドラーが「治療をする」こと、つまり「手段を与える」こと。「アドラーが青年の話を聞くこと」は、大事じゃなくない?
A:いや、何も変わっていないんじゃない、青年の頭の中が変わっているんだよ。アドラーが話を聞いてくれないと、青年は「治療をする」ところまで辿り着けないんだよ。青年が納得できるように、自分で前を向けるように、アドラーは話を聞くんだよ。だって青年、最後の最後まで喚いてたじゃん。
B:そうだけれど……
A:アドラーはフロイトの原因論(苦しんでいる原因を知ること)を否定したかもしれないけれど、原因論に向き合った上での目的論(解決するためにどうするか)なんだと思う。いきなり解決の「手段」だけ与えられて、「ああ、この手段に従ったら大丈夫なのね」って従う人はなかなかいないと……
B:そっちのほうがよっぽど簡単じゃん!
A:うん、簡単ではある。でも「自分は今まで違う手段で生きてきたのに、今それを否定しないで!」ってプライドが揺れて、怒りや戸惑いが湧く人が多いと思う。
B:ふーん……そこに価値があるとは思っていなかったな。
A:価値?
B:「人に話を聞いてもらうことによって、納得して、手段を実践できる」ってこと。
A:うん。納得して、前を向くのに時間がかかる人も多いと思う。
B:ふーん……。
A:納得していないね(笑)Bはそういう経験ない?
B:ない。例えば、本には問題を解決する「手段」が書かれているじゃん。本は、自分の話を聞いてくれないけれど、それでもみんな頼るよね。だから本を手に取る人は、私みたいな人が多いと思うんだ。
A:それ、自分が納得できる本を、自分で選んでるんじゃないの?
B:そうだけど……本が売れる理由ってそこじゃない?話を聞く、聞いてもらう手間が発生しない。
A:それで問題解決できるならいいと思う!でも「今の自分に適切な手段を教えてくれる本」を客観的に選ぶことってできるかな?「自分が正しいと思う本」を「自分で」選んでるだけだから、独りよがりになる危険性がある。
B:確かに、選んだ本が問題解決の手段になるかは別だね。でも問題を整理できていない人でも、とりあえずそれっぽい本を手に取ることはあるよね?
A:それはあると思う。
B:だったらやっぱり、人に話を聞いてもらうなんてことしなくても、本をいくつか読めばいいと思うんだよね。手っ取り早い!
A:確かに、数読めば読むほど独りよがりになる危険性は減っていくね。でも、そのほうが時間かかる人もいると思う。それぞれ良さがあるから、使い分けられたらいいよね。例えば本は一方的なインプットだけれど、「人に話を聞いてもらう」ことはインプットとアウトプットだから。青年のように自分だけに向けられた言葉をインプットをしつつ、アウトプットしながら頭の中を整理するとか。
B:私は、話しながら自分の中で整理しないからなぁ。効率を求めちゃう。
A:Bみたいなやり方で問題解決できるなら、それがいいと思う。でもそれ、人に話を聞いてもらうことより難易度が高いと思うんだよね(笑)結局、青年も1人じゃ解決できなかったわけだからね。
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