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A:「人の役に立ちたい」っていう使命感も、行き過ぎると強迫性人格障害みたいな「やらなきゃやらなきゃ病」なのよ。
B:使命感が強迫観念なのはわかるけど、「他人がどんなことで悩んでいるのか知りたい」「色んな人に悩みの解決法を教えてあげたい」っていうのは強迫観念じゃないと思うんだよねぇ。「自分が苦しいから、自分をなんとかします」だったらわかるけれどさ、そこで「他人にも苦しくならない方法を教えようとしている」じゃん。それは強迫観念じゃなくて……なんだろう……
A:それ含めて「人の役に立たなきゃ!」っていう強迫観念だと思うけど。
B:でも……例えばAが使命感を感じて苦しくなっているとしても、結果、ちゃんと人の役に立ってるように私は見える。
A:人にどう見られるかはどうでもいいけれど(笑)それが人の役に立ってるならそれでいいし、お節介だとしてもそう動かないと自分が苦しくなっちゃうから。きっとBが疑問に思ってるのって、そもそも何で「人の役に立ちたい」って思いが生まれるのかってところじゃない?
B:そう。強迫性って「自分に害がふりかかるような恐怖」だと思ってた。
A:だから「人の役に立たなければ、自分に害がふりかかる」って思うんじゃん。
B:いや、人の役に立たなかったら誰かが困るだけじゃん。Aがなんか誰かの役に立とうが立とまいが、A自身が困ることはないよ。
A:そうだよ。
B:え〜〜〜どういうこと?「人の役に立ちたい」っていう使命感が、強迫観念って言うのが理解できない!
A:うーん、因果関係はないんだよ。B、お腹空くでしょ?「お腹空いたな〜」と同じ欲求なんだよ。
B:……本当にそうなの?私のイメージは、まずAにすごく苦しいことが起きて、次にその苦しいことを周りの人に体験してほしくないから教えるって流れだった。「苦しいことを解決する方法を知っているのに、黙っていることが後ろめたいから教える」だと思ってたんだけど……そうじゃなくて、ただただ「人の役に立ちたい」っていう強迫観念があるのが理解を超えすぎていて……
A:もちろんBの言うように「自分が苦しい思いをしたから、誰かに教えたい」ってこともあると思うけれど、それはシンプルな欲求と違って「自分が苦しかったことを正当化する」思考にもなり得るでしょ。もっとシンプルだよ、「眠い〜」っていうのと同じ。
B:私にはその感覚がない!「こうなってこうなる」っていう道筋を考えちゃう。「何かがあって、人の役に立ちたいって思うんだろうな」とか思っちゃう。そうじゃなくて、漠然と「人の役に立ちたい」って自分の中でめちゃくちゃ強く思えるっていうことだよね……
A:そうそう。そこに理由なんてない。
B:そんなことあるんだな……と思って。
A:前にBが、人は「社会貢献」や「使命感」をエネルギーに生きるって言ってたじゃん。「7つの習慣」にもそう書いてある。宗教や道徳っていう今でも消えない概念もあるわけで。人間に、もともと備わったものな気がする。
B:なんか、私が今まで苦しんできた理由がちょっと分かった。「人の役に立ちたい」と思うのは、「自分が過去に苦しんだから」とか、「すごく気になることがあるから」だと思っていて、私にはそんなものないから「人の役に立ちたいと思わない」と思ってたんだ。でも……原因がなくても「人の役に立ちたい」っ思うのが人間だから、だからみんな「助け合って生きていこう」とか「人の繋がりが幸せに結びつく」とか言ってるんだろうなって、今思った。
A:みんながみんな思っているものかは分からないけれど。それに承認欲求もあると思うよ。承認欲求と同時に「人の役に立ちたい」ってスタートラインに立っている気がする。マズローの欲求で言う、自己実現欲求と同じだと思う。
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