『20代のうちにやるべきこと』系の本に対する嫌悪感②

AとB

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A:『20代のうちにやるべきこと』系の本を読まない理由として、「考えることを増やしたくない」っていうのもある。スキーの例え話に戻るけど、『20代にスキーをやるべき』って読んだことで、今までの考えたこともなかった『スキー』って概念が突然入ってくるのよ。『人生を変えるほどの影響力がある、とんでもないスポーツです』って情報と一緒に。

B:うんうん。

A考えたことがない概念だからこそ、真っ白な脳内に染み込んで来る。「いやいや20代のうちにスキーをやるべきなんて、そんなわけない」とも言い切れない、知らないからね。もしかしたら本当に『人生を変えるほどのスポーツ』なのかもしれないって考え始める。そうなると……面倒くさい!ことあるごとに「スキー、面白いのかもよ?やってみる?」って脳内が聞いてくる。で、情報を集めたり、考えたり。それが面倒くさい。

B:あ〜〜〜分かった。だから、私が急に今までと違う言葉を使うと、みんな抵抗するんだ……

A:確かにそれも「面倒くさい」の一種かも。自分の中にない概念や言葉が降ってくると思考が忙しくなるから。

B私はそういうものはスルーしちゃうなぁ。

A:どうしても真剣に受け止めちゃうんだと思う。あと、そもそも考えることが面倒くさい、思考が苦手な人は余計に抵抗するはず。

B:そうだね。

A:『スキー』を知らなくて、且つ思考が苦手な人は、単語が突然入ってきただけで「どんなスポーツだっけ」「どんな格好でやるんだっけ」「スキー選手って誰だっけ」ってエネルギーを使っちゃう。そういう人にとって『スキー』は「日常生活の中でたまたま出会って知っていく」のがちょうどいいんだと思う。

B:日常生活の中で?

A:うん。たまたま友達に「スキー行く?」って誘われるとか。で、「行ってみようかな」って調べるとか。だから、あえて自分から本を読んで知識を広げたり、分野の違う人の話を聴いたりはしないと思う。

B:なるほど。

A:それにしても、考えることが好きな私が『20代のうちにやるべきこと』の本を読まないのは、自分の考えに自信がないのかな?自信がないから、本に影響を受けてしまうのかな?

B:いや、自信がないから人の考えを知りたいと思うんだけれどね。

A逆に、私は自信があるから『自分の生き方で、生きるんで』って強気なのかな?結局、勉強と同じだよね。先駆者が学んだものを、知識として取り入れるかどうかっていう。ただし『正解』ではないから自分で考えてねっていう。

B:うん。国語と同じじゃない?

A:同じだね。同じだけど、私、教科書にも本にも『正解』はないけれど、『正解っぽいもの』はあると思っているんだよ。だから知るのが怖い。もう少し、現代の色んな人の考えを聞きたい。考える授業、哲学の授業がほしかったな〜義務教育に組み入れたい。

B:A、ずっと言ってるよね。

A:うん。哲学でも心理学でもいいから、悩んだときの一出口になるような科目をみんなで学んで、多種多様な『答え』に触れたいんだよね。もちろん哲学や心理学に興味ない人が持っている『答え』も。

B確かに義務教育じゃない限り、他の人、ましてや興味ない人の『答え』には触れられないね。でも、みんな悩んだら本は自分で読むんじゃないかな?それか誰かに勧められて。

A:そうかな?でも誰かに『この本、読んだほうがいいよ』って勧められるのは、勉強していない小学生が『勉強をしたほうがいいよ』って言われると同じじゃない?抵抗されそう。

B:あ〜そうかも。

A:難しいねぇ。

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