自己発信の時代に、自己発信がうまくできない人へ

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インターネットが普及して、SNSが台等して、自己発信する時代になった。セルフブランディングなんて言葉が生まれて、マスコミ業界では今、SNSのフォロワー数、いいね数、視聴数といった数字が物を言う。それに伴い、自己発信できない人が頭を抱え始めたように思う。

自己発信の時代なのに自己発信しない=恥ずかしい人間?価値がない人間?

同時に、SNSの数字に一喜一憂する人が増えた。

数が少ない=恥ずかしい人間?価値がない人間?

このブログを読んでいる人の中には、「自己発信」についてなんとなくモヤモヤを抱えている人がいるのではないかな……と思う。

ここでは、モヤモヤの正体を解いていきたい。

【自己発信4タイプ】あなたはどれに当てはまる?

自己発信に関して、人は4タイプに別れる。

①自己発信したくて、している人
②自己発信したくて、していない人
③自己発信したくなくて、している人
④自己発信したくなくて、していない人

4タイプの中で、②と③の人が、苦しんでいるのではないか。モヤモヤしてしまう原因は、異なる2つの気持ちの板挟みにあり、自分の気持と行動が一致していないからだ。

そこで、異なる2つの気持ち「自己発信したい気持ち」「自己発信したくない気持ち」の裏にある理由をまとめてみる。

自分の気持ちに丁寧に向き合うのは、かなりのエネルギーが必要となる。ここでは、あなたの代わりに気持ちを整理したい。自分はどんな気持ちを持っているのか、どんな気持ちの板挟みになっているのか、参考にしてみてほしい。診断するだけでも発見があるかもしれない。

自己発信したくない理由

謙虚意識
「沈黙は金、雄弁は銀」「言おうか迷ったときは、言わないほうがいい」という日本人に刷り込まれた美意識。

自己顕示欲が強いと思われたくない
「協調性がなさそう」「一緒にいて疲れそう」など、自己顕示欲は線を超えると不利になることを知っている。

自信がない
自分の人生において、発信するような有益なことはないと思っている。

他者発信が目に入ると羨ましい。焦る
自己発信すれば、他者発信も目に入る。隣の芝生は青く見えるのであれば見たくない。

笑われる、叩かれるのが怖い
自分が傷つくリスクを取りたくない。

誰かを傷つけるリスクを取りたくない
せーのでみんな口を閉じれば、誰も傷つかないからね。

自己発信したい理由

生まれながらの欲
人間の欲は「生理的欲求」→「安全の欲求」→「所属と愛の欲求」→「承認の欲求」→「自己実現の欲求」の順だと言われている(アメリカの心理学者マズローの欲求5段階説)。ある程度の欲を満たせば「承認の欲求」「自己実現の欲求」を求めることは生き物として必然だよね、と。

+αツールとして使う
「人と繋がる」「表現の場にする」「仕事を生み出す」ための手段。本当に欲しいものは、その先。

自信がつく
ポジティブな反応をもらえればシンプルに嬉しいよね、外部からもらった自信をきっかけに内部の自信にも繋がったらいいよね、と。

誰かを救うこと、守ることができる
せーのでみんな口を閉じれば、誰も傷つかないけど。私たちは人と一緒に生きたくて、話をする生き物で。そのとき傷つけることもあるけど、傷ついた人を救うことも、傷つかないよう守ることもできるよね、と。

叩く人は、叩く
自己発信したい理由ではないが、何を言っても何をやっても叩く人は叩くから。叩かれることは気にしない、と。

リスクに対して責任を持つ
これも自己発信したい理由ではないが、ありとあらゆる可能性を考え、責任と意義を持っているから発信ができる、と。「叩く人は、叩くから」と言えるのは、責任を持ってから言えることだよね、と。

結果

どの気持ちをどれくらい持っていたか?総合して「発信したい」「発信したくない」気持ちのどちらが勝ったか?

「だから私は発信したくなかったんだ!」と納得できたり、「発信したいのにできないのは、これが原因だったんだ!克服したい」と改善が見えたらとても嬉しい。

そして気持ちの整理ができた皆さんは、冒頭の問い「自己発信の時代なのに自己発信しない=価値がない人間?恥ずかしい人間?」「数が少ない=価値がない人間?恥ずかしい人間?」の答えも出たのではないだろうか。

例えば、「②自己発信したくて、していない人」の中には「誰かを救ったり、守ったりする方法がわからないから、どうしても人を傷つけるリスクを取りたくない」という優しい人がいるだろう。

その人たちに対して「自己発信の時代に発信できないなんて、恥ずかしいね。価値ないね。」なんて言うことができるだろうか。人を傷つけたくない人が、人に傷つけられる時代なんて……ダサくないか?そもそも自我、感情、理性、目に見えない曖昧で複雑な人間を、目に見える数字だけで100%表すのは不可能である。

もし自己発信できないことで、数が少ないことで悩んでいるのだとしたら、断言する。

悩む必要は一切ない。

自己発信で大切なこと

悩む必要はないが、ただ考える必要はある。

物事はトレードオフ。何かを選択すれば、何か失う。

自己発信することを選べば、自己発信しないことで守れたものを失い、

自己発信することを選べば、自己発信しないことで失われたものを守れる。

「発信する」「発信しない」の対立ではなく、

自分にとって何が大事か考えること、何をどこまで守りたいか考えることが重要だ。

その答えが見えてきたとき、モヤモヤは完全に消える。

そしてその答えは、人によって全く異なるのだ。

分かるよ、

SNSを見て「意識高い人」に線を引きたくなる気持ちも、自己顕示欲が強い人に傷つけられるんじゃないかって怯える気持ちも、大好きな人が無神経な誰かに傷つけられる痛みも、思い切って発信したけれど「あれ?顕示欲行き過ぎた?」ってグラグラする感覚も、「誰かを傷つけてるんじゃないか」って不安になる気持ちも、痛い部分に触れられて反撃したくなる気持ちも、自分の価値観押し付けてこないでよって気持ちも、押し付けられたように自分が感じているだけだって弱さに震える気持ちも、自分に向き合うのが面倒くさくて怖い気持ちも、何も発信できない自分を正当化したくて揚げ足をとりたくなる気持ちも、本当は素直に仲良くなりたいだけな気持ちも……いろいろ、いろいろあるよね。分かるよ。

その上で、この自己発信の時代で、

じゃあ、あなたはどうする?何を守る?

っていう小話。

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